INTRODUCTION

of corporate cases and initiatives

取組事例紹介

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2021.12.20
小田象製粉株式会社 代表取締役社長 小田 眞司氏
PROFILE
大学を卒業後、証券会社勤務を経て1998年、小田象製粉株式会社に入社。開発、製造、配送、営業等の経験を積み、2014年、代表取締役社長に就任。小麦の無限の可能性を追求するとともにお客様の成長繁栄に貢献できる「リテール・サポート・カンパニー」を目指し100年企業へ突き進む。
インタビュアー:秋葉優一
高梁川流域クロッシング
プロジェクトマネージャー
株式会社クラビズ 代表取締役
SHINJI ODA
小麦粉の可能性を広げる独自の技術開発と、
エンドユーザーとの連携で革新的製品を生み出す。

「小麦の製粉をしないか」
戦後の学校給食スタートが製粉業の安定へ導く

まず、小田象製粉さんの事業内容を教えてくださいますか。

当社は小麦の製粉をして、小麦粉の製造販売を行ってます。 取り扱う原料の約90%が外国産小麦で、残りの約10%が国内産小麦です。 お米の場合は国内産が多く流通しているイメージがあると思いますが、日本の小麦の食料自給率は10%〜15%ぐらいで、大半の小麦粉が外国産の小麦を利用して製粉されています。
当社は大正13年に岡山市の妹尾で、創業者の小田象一が「小田象商店」として、荒物・雑貨類・塩等の専売品を中心に、いわゆる今で言うコンビニエンスストア的な小売商としてスタートしました。
戦争当時、小売商には闇市のような良くないイメージをもたれていた時代があったようです。 そういったこともあり経営的にも厳しい中で、何か新しいことを始めなければと考えていました。 そんな時、穀物問屋さんから「小麦の製粉をしないか」といった提案がありました。 元々お米の精米はしていましたが、小麦の製粉という形に落ち着き、昭和23年から製粉業に一本化しました。

もともと売っていたものを、今度は自分たちで製造・商品化し始めたということですね。 町の商店として変わらずそのまま続けていくという選択肢もあったはずですが、なぜ小麦に導かれたのでしょうか。

戦後の食糧不足の際に、アメリカの政策で学校給食がスタートし、子どもたちにパンを食べさせようということになりました。 学校給食や、その後の洋食化という時代背景があったことからも、創業者が先見性をもって小麦の製粉、小麦粉の可能性に光を見出していたのかもしれません。

製粉業を始めた当時の売り先はどういうところだったんですか。

当時は地元で県内最大の規模を持つパンメーカーに、日参してお取引きのお願いをして契約に至ったということが社史に書かれています。 そのメーカーさんにお取引きして頂ければ我々にも箔がつくのではないかということで。

パンメーカーということは、やはり学校給食と繋がりますね。

小麦の輸入を見据え、
水島への移転決断がもたらした事業成長。

製粉業に転換し、その後の今に至る流れはどのようなものでしたか。

その後は、戦後の高度成長の時代の波に乗りながら徐々に売上も上がっていき、当社の一番大きなターニングポイントと言えるのが、妹尾の工場から現在の水島コンビナートに工場移転をしたことです。 ちょうど瀬戸大橋ができる昭和63年に用地を確保しました。 その時の水島への移転を二代目社長の小田廣士が意思決定しなければ、おそらく当社は廃業をしていたんじゃないかと思います。

なぜですか。

移転前の工場があった辺りは、昔は何もなかったんですが、あとから家やマンションが建って今は住宅街になっていることからも、あのまま続けていても、近隣の住民の苦情やなんかで続けることはできなかったんじゃないでしょうか。
工場の機械の騒音、大きなトラックの出入りもありますし、住民に配慮して朝9時から夕方4時ぐらいまでしか稼働できないとなれば拡大も考えられないですしね。 水島食品コンビナート内なら24時間稼働しても騒音等でご迷惑をおかけすることもなく、そういったことからも発展に繋がったんだと思います。

水島に移る意思決定にはどんな考えがあったのでしょうか。

小麦を海外からたくさん輸入する時代になるまでは、国内産の小麦を鉄道で輸送していました。戦後になって、今後は海外から船での輸入が増えてくるぞという時代に、どこの製粉会社も港の近くに出て行くということが非常に重要な戦略であったと言えます。 同業者である中小の製粉会社でも、内陸工場のままでやっていたところは事業も伸ばしにくく、毎年のように廃業していたようです。
水島は工業地域のイメージがあると思うんですが、当社の入るこの一角だけが水島の中の唯一の食品コンビナートなんです。 その食品コンビナートに、昭和46年から操業を開始された県屈指のサイロ会社さんがあるんですが、輸入された小麦などはその会社が所有するサイロに保管されます。 水島コンビナートに移ったことでそこから原料を調達できるようになり、物流コストの削減も当社にとっては非常に大きかったと思います。

“リテール・サポート・カンパニー”
エンドユーザーとの連携で生まれる新しい価値。

平成26年に社長に就任されてからのイノベーション、新たな取り組みはなんですか。

新しい企業ミッションかつ理念として「リテール・サポート・カンパニー※」を掲げました。 お客様の成長のために貢献することがベースにあります。
昔から製粉会社は、特約店さんへの営業はするんですが、エンドユーザーであるパン屋さんやうどん屋さん、お菓子屋さんに対しては積極的なアプローチはしてこなかったんですよね。 当社は技術サポート員だけでなく、営業部員も同様に製菓製パン製麺の技術を持っており、お客様のお悩み解決に努めています。相談対応をはじめ、定期的な講習会や勉強会を開催し、商品作りからお店作りまで幅広くサポートしています。 エンドユーザー様にそうしたきめ細かいフォローをする一方で、特約店様に対しても販売だけではなく、技術サポートや情報提供をおこなっています。 こういう取り組みは製粉業界において非常にめずらしいと言われています。 当社の製品を買うことで、特約店様は技術サポートや提案を得られる、さらにその先のお客様(エンドユーザー)のアフターフォローまでやってくれる、ならば当社の粉を買って販売していこうという循環が生まれているようです。
※リテール・サポート・カンパニー……リテールサポートとは、卸売業者やメーカーが取引先や小売店に対して経営的な支援活動を行うこと

エンドユーザーの方々に直接お話を聞く機会を増やしたことで、新しい製品が生まれたり、新たな展開につながることはありましたか。

私が社長に就任した翌年2015年に、創立70周年ブランドとして出させて頂いた機能性小麦粉『KISA※』もそうですが、のちにお客様から「その機能性を維持しながら、風味の強い小麦粉を作ることはできないか」という相談がありました。 その要望に応える形で、『GANESHA※』という商品を開発しました。 それはまさに当社スタッフがお客様のもとに日々通う中で様々な意見を聞いて製品開発に反映させたパターンですね。
私たちは日々、お客様のお悩み事や今必要としているものは何なのか、真摯に耳を傾けています。 社員全員がその姿勢で仕事に取り組んでいるからこそ、お客様のニーズをつかんだ製品の開発や最適な提案に生かしていけているのだと思います。
※『KISA(キサ)』……独自の微粉砕技術により冷蔵・冷凍しても生地が劣化しにくい白く美しい強力粉。
※『GANESHA(ガネーシャ)』……吸水性、冷蔵・冷凍耐性に優れながらも、小麦の風味と旨味を活かせる小麦粉。
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