INTRODUCTION

of corporate cases and initiatives

取組事例紹介

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2022.03.29
有限会社となりの工房 代表取締役/シーティングエンジニア 沖 ちなみ 氏
PROFILE
岐阜県の技能訓練校の木工科を卒業後、木工家具製作会社勤務を経て1990年、身体に障害を持つ人のための道具作りをする「のい工房」に参加。その後、富山や福岡で経験を積み、1992年、美星町で「となりの工房」を設立、3年後に法人化をする。設立当初から「ユーザー様に寄り添うものづくり」の理念を大切にし、現在7名で活動中。
インタビュアー:天野博文
高梁川流域クロッシング
プロジェクトリーダー
株式会社クラビズ 新規事業開発室 室長
Tonarino-kobo
専任者による一貫体制で“誰一人取り残さない”
異業種の技術を使って理想の製品を作り上げる。

自分が作ったものは本当にお客様に役立っているのか
ダイレクトな手応えがあるものづくりの世界へ

「となりの工房」さんは30年ほど前にお一人で始められたということですが、きっかけを教えていただけますか。

もともと私は家具を作りたくて、訓練校で木工を学んで一度は家具製造会社に入りました。そこでオーダー家具を作っていたのですが、ある時、木工の雑誌で障害児向けの家具を作っているグループがあるということを知りました。私は自分の作った家具が、お客様にとって良かったのか悪かったのかがものすごく気になる性格で、あの椅子は体に合っているかなあ、使い心地はどうかなあと考えながらいつも仕事をしていたので、障害のある人のための家具だったらそこを気にしながら作るのが当たり前の世界なんだろうなと、 この分野に興味を持ちました。関連本を探し、調べているうちにやってみたい思いが強くなり、掲載されていた工房に連絡を取ったことがきっかけです。

障害者の方向けの家具を作るために、家具製造会社はお辞めになったんですか?

私は大阪出身で、家具職人になるために岐阜の家具製造会社で働いていました。聞くと、岐阜にも障害者向けの家具を作っている工房があるということで、勤めていた会社を辞めて、まずはそこに見習いとして入りました。ゆくゆくは独立をしようと考えながら、その後、富山や福岡の工房でも経験を積みました。

独立を早い段階で考えられていたのはどうしてですか?また、現在なぜ岡山でされているのでしょうか。

当時、障害者向けの家具を専門に作っている工房は、全国に20〜30ぐらいしかありませんでした。そのグループの目標として、各県に一つの工房を立てようというのがあったので、必然的に他県に出て独立する流れでした。みんなで日本地図を広げて、今この辺り空白県だよ、どこにする? というような感じで。私は「大阪出身で両親が高知出身だから、中間地点の岡山がいいです」とそんな感じで、岡山に来たのは本当にたまたまです。

岡山に来られて、工房の場所はどうやって探されたのですか。

来てすぐは、小田郡美星町宇戸谷(当時※)にある廃校になった旧小学校からスタートしました。ある企業さんが20年ぐらい入られていたのですが、ちょうど出ていくことになり、タイミングよく入ることができたんです。でもすごく古いので、雨漏りが酷くなり、10年目にいよいよ無理かなというところで、同じ美星町にある現在の工房に移りました。
※小田郡美星町は合併により2005年3月1日から井原市になりました。

専任者による一貫体制で“誰一人取り残さない”
とことん寄り添うことが、私たちの役割

「となりの工房」でのお仕事の全体像を教えてください。

車椅子などの福祉用具は、購入する際に行政からの補助がありますが、医師の処方箋が必要なため、病院受診が必須です。そのため、車椅子の注文は病院やリハビリ施設を通して来るので、病院でお話を聞くところから始まります。受注を受けた担当者が専任となり、計測、製造、仮当て、納品まで一貫して対応します。分業をしないというのがうちの工房の特徴の一つです。

分業ではなく、専任の担当者が一貫してやる理由はなんですか?

創業当時、障害児が使える車椅子は限られていました。この30年ほどの間に輸入品が入り、日本の大手メーカーの開発も進み、フレーム※は種類が揃ってきたと思います。ただ、車椅子は個々の障害に応じて座面が体にフィットしないと座れません。そういったソフトの部分、頭から足先まで、体にあたるクッションの部分は既製品では対応ができないので、個別対応が必要になってきます。車椅子は修理しながら長い間使っていただくので、ユーザーさんの特徴をよく理解している専任の担当者が、責任を持って最後までサポートすることが大切だと思っています。
※フレーム……車椅子の骨組みとなる車輪を含む主に金属部分。

世の中の多くの人に供給しようと思えば、別のやり方もあると思うのですが……。

大量生産と同じことをしなくていいと思っています。良い製品は増えましたが、まだまだ世の中の既製品に合うものがない人は多くいらっしゃいます。私たちの役割は、誰一人取り残すことなく、とことん寄り添って作っていくことだと考えています。

これまで困難もあったけど、こういうことをやって乗り越えてきたなど、御社の事業の転機を教えてください。

最初の10年ぐらいは、フレームがいいものがなくて、既製品を無理に改造して作ることもありました。工房の悩みは全国的に同じなので、そこで自分たちが思ったような車椅子を作りやすくするために、40工房ぐらいで出資をして福岡に自社工場を立てました。20年前にその工場ができてから、思ったようなフレームができ上がり、製作がスムーズになりました。それが一番大きかったです。

ユーザーを通して井原のデニムに出会う
一言の発信が製品を生み出すきっかけに

地元の井原産デニムを使った製品がありましたが、異業種との繋がった経緯をお聞かせください。

オーダーで車椅子を作る工程の最後に、どんなカバーにするかユーザーさんに聞いて、枕やクッションの色を選んでいただきます。昔と違い、近年はお父さんの子育てや介護の参加が増えてきました。カバーの色選びも、お母さんだと明るい色を選ぶことが多かったのですが、そこにお父さんの意向が入ると、グレーとか紺とかちょっと渋めな色を好まれることがわかりました。そうか、お父さんはかっこいい車椅子の方が、押すのにいいんだろうなあと。それである時、親しいユーザーさんに、かっこいいと思う車椅子のカバーについて聞いてみたら、「デニムとかどうですか」と言われて。そういえば井原にデニムがあるし、それを使ってかっこいい車椅子を作ろうと考えました。

ユーザーの要望から生まれた製品なんですね。

実はそれまで、暮らしながらも井原がデニムの産地だと強く意識していませんでした。
いつもユーザーさんの思いに応えるために、様々なお悩みを直接お聞きしながら作っているので、新しいアイディアはユーザー起点で生まれることが多いですね。

デニムの企業さんとはどうやって繋がったのですか?

どうやって生地を仕入れたらいいのかなと考えていた矢先に、たまたま井原市役所から事業に関するアンケートが来ました。「今後どんなものを開発したいですか?」という質問があったので、「井原産のデニムを使って車椅子の製品を作りたい」と書いて返信しました。しばらくして市の方から連絡が入り、コーディネーターさんを連れてきてくださり、いろんな事業者さんを紹介していただくことになりました。
発信することは本当に大切なんだということがわかりました。いつもなら忙しいからとアンケートに返信しそびれることもあるんですが。

オンラインでつながってユーザーとの接点を掘り起こす
ITの力でアナログの強みがより生きる

この先「となりの工房」として、将来に向けた展望はありますか。

車椅子を作る時に2才、3才で出会った子供たちが成人した後は、お会いする機会が少なくなるので、そういった方へのフォロー体制を整えることです。高校を卒業する年齢までは病院でリハビリも受けていて、成長にともなって3年に1回ぐらい作り替えたり修理をするので、接点があります。でも、高校卒業後、就職も難しかったり、デイサービスで過ごしたり、あるいはずっと在宅であったりと、彼らの環境が変わると同時に私たちとの接点も薄くなっていきます。何年かぶりに連絡いただくと、前に作った椅子が体に全然合わなくなっていたり、今までこんなに無理して使っていたんだとか、少しの修理で直してあげられたのにと思うことがあります。言えない状況やそうせざるえない環境かもしれないですが、これからはITを活用して、接点をもてる体制づくりをしていきたいと考えています。オンラインで顔を見ながら「今、実はうまく座れてないんですよ」と見せてもらえたら、「もうサイズアウトですね」とか「ベルトの留め方が違うかな」とすぐアドバイスができますし、事前に映像を通して状況を把握しておけば、実際にお伺いする前に半分は仕事が終わります。

あわせて、去年から準備を進めてきましたが、車に材料やミシンを詰め込んで、お伺いしたその場でクッションを削ったり、パッドもミシンをかけて、その日1日で納品しようと考えています。修理部隊みたいな感じですね。大きな修理はできませんが、軽微な修理を気軽に依頼していただきたいと思っています。

ユーザーとより長く、適切に接点を持てる仕組み作りをしていこうと。そういった将来像もふまえて、今後の課題はおありですか。

これまでは、体にフィットしているかどうかを感覚で測るような仕事のやり方だったので、これからはデータとして可視化したいと思っています。エビデンスも全然積み上げられておらず、技術も人それぞれというところがあって、それでは残らないなと。私自身が65歳でやめようと思っているのですが、技術の継承をスタートさせることが今後の一番の課題です。30年かかって積み上げてきたものを、また30年かけて伝えることはできないので、どうやって残していくかです。

データ化することで伝えられる信頼感
異業種の技術を使って理想の製品を作り上げる

技能としての手仕事を伝承していくだけではなくて、データであったり数値化できたら伝えられることがあるかもしれませんね。

車椅子に乗っている方達は、暑さ寒さ対策がすごく大変なんです。そのために空調のシステムを車椅子のシートに取り付けるのですが、どこが涼しいかを手をあてて、効いてる、効いてないをアナログでやっていました。昨年、衣服に空調のシステムを入れた製品を作られている企業さんから、体表面の温度を計測する機械のことを教えていただきました。それを使えばどこが暖かいのか涼しいのかが色で表現できると。目に見えて計れて数値で「効きますよ」とユーザーさんにちゃんと伝えることができたら、信頼感にも繋がりますよね。
先ほどお話したデニムのカバーもですが、既製のデニム生地をそのまま使っているわけではなく、用途に合うように生地の種類にもこだわって、さらに消臭抗菌などの加工もかけています。数々の業種や会社さんに関わっていただいたからこそ製品化できました。

消臭抗菌加工などの工程は、デニム会社さんとはまた違う会社さんなんですね。

井原市主催の異業種交流会でつながったコーディネーターさんに、車椅子のカバーに使いたいデニムには「伸縮性も、通気性も、抗菌消臭も、撥水も欲しい」と欲張りな要望を伝えたところ、県内の事業者さんを多く紹介してくださいました。一口にデニムと言っても様々で、このメーカーさんはこういう織り方が得意だよとか。デニムは一般的に色落ちがいいと言われますが、車椅子は長時間乗るので服に付きやすいので、色が落ちると困ります。色落ちしないデニムはありますかと聞いたら、反応糸で織ればデニムは色落ちしないからと、糸から染めていただいて。色についても要望を出して染め屋さんにやっていただきました。伸縮性は何種類も織ってもらった中から決めました。そして違う業者さんに抗菌消臭や撥水加工をかけていただいてようやく完成です。地元の事業者さんと積極的につながることで、みなさんが様々な技術をもっていて、いろんなことが出来るんだと改めて実感しました。

高い理想を持って、やりたいことを積極的に発信することが、情報が集まってきたり、新しい出会いにつながるのかもしれません。

ここ数年の異業種連携で前に進めたことを実感しています。自分の知識や技術だけでは限界がありますが、積極的に発信することで、この業界にはこういう技術があるとか、さまざまな情報が集まって来るのではないでしょうか。それによって悩みが解決したり実現が早まることもあります。今も継続的に他分野の方を紹介いただいていて、今年の夏までに新しい空調のシートを一つ完成させようと考えています。日々、様々な業界の方との出会いを通して、新たな事業展開のヒントをいただいています。
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