イノベーションの担い手となるのは「若者、よそ者、ばか者」であるとよく言われます。
そのような、積極的な姿勢で、様々な視点をもち、柔軟に動ける存在であるのが「地域おこし協力隊」です。
高梁川流域において活躍する協力隊の皆様の活動状況を、本ブログでもお伝えさせていただきます!
地域に新しい風を運び入れ、様々なヒト・モノ・コトをつなぐ活動につき、ぜひご注目ください!
10月から、任務の一つである地域資源を活用した商品開発に携わることになりました!!具体的には、リサイクルデニムを活用したツナギの商品開発で、場所はデニムの聖地と名高い倉敷市の「児島」です。元地域おこし協力隊の池上慶行さんの企画に賛同し、お手伝いとして関わることになりました。
彼との縁は、彼が高梁川志塾の講師として来られたところから始まります。彼の考えに共感し、毎月1回繊維関係の人など(約7人)が集まり、情報交換をしていると聞いたので、参加させていただき、今回の商品開発に至りました。
池上さん自身が、デニムをリサイクルしているブランドを立ち上げていることもあり、使い古しのデニムを綿に戻し、製品を作ることがで
きないかとメンバーで考えました。そこで、SDGsや池上さんの活動を考え、「かえる」をコンセプトに開発を進めてはどうかとエシカル消費を提案しました。
① 原料に「変える」
今回の企画は、使い古しのデニムをデニムの原料である綿に戻すところから始まります。そこで使い古したデニムを綿に「変える」。
② 地元に「返る」
運送による CO2 などの排出の削減を図るため、集めるデニムや商圏範囲を地元とし、地産地消を目指し、地元に「返る」。
③ 原点に「帰る」
今でこそ、デニムはファッションアイテムになっていますが、本来は作業着です。そこで、原点回帰し、作業着として再生させ、デニム本来の目的に立ち「帰る」。
④ 繊維業の方に再び「帰る」
作業着といっても対象の範囲は広いです。そこでどのような作業をする人をターゲットにするか。メンバーで話を進めていく中で、地元の繊維業に従事している人に、再び活用してもらえる(ツナギの)作業着を作ることにしました。繊維業に従事している方の手からデニムが生まれ、再び繊維業の方の下に「帰る」。
コンセプトを明確にしたことで、商品開発のラインも明確になりました。
リサイクル生地を作るには、最小ロットが10反となり、10反作るには使い古しのデニムが150kg 必要になります。そこで、私たちの最初の仕事は、150kg の使い古しのデニム集めになりました。池上さんとつながりがあるアパレルのお店などを回り、裁断で出た切れ端や半端で使えない生地をいただきました。
集めた生地は、最終的には機械を使って粉砕しますが、機械に入れるには、2センチ四方に裁断する必要があります。この裁断作業が想像以上に過酷な作業で時間がかかります。
裁断に使う円形刃のカッターナイフは、切れ味が鋭く、使い方を誤ると大ケガにつながります。また、裁断していると、綿埃が立ち、綿埃を吸うため、鼻の中がデニムの藍色になり、鼻水も藍色になります。もちろん、指先も藍色に染まり、血色不良と勘違いされます。
今でこそ、児島、水島、玉島、早島は、陸続きになっていますが、約450年前は、瀬戸内海に浮かぶ島々でした。
当時の倉敷近辺は「吉備の穴海」と呼ばれ、県の三大河川である吉井川、高梁川、旭川の沖積作用で、島々の間には干潟が発達し、干拓が行われていました。この干拓の歴史が児島を始め、倉敷の歴史でもあります。
干拓した土地は塩分を含み、稲作が難しく、綿花ぐらいしか、栽培に適していませんでした。そうしたことから、綿花の栽培や加工が倉敷で盛んに行われ、さらに、高梁川を使った高瀬舟や日本全国の港を結んだ北前船などの水運業の発達もあり、児島で繊維業が盛んになりま
した。
商魂たくましい児島の繊維業者たちが、丈夫な小倉織りを諸国に行商するとともに、袴地や前掛地の製造を行い、明治中期には足袋の製造で躍進し、躍進した業者の多くが、学生服、作業服、ジーンズのメーカーに形を変え、今日の児島を支えています。
ジーンズ加工は、他のアパレルと異なり、扱う生地が厚く、染色が機械に付着するため、ミシンなども専用になります。こうした専用機材の導入が参入障壁となり、他の地域でジーンズの生産が行われていない要因の一つになっているのではと聞きました。
今回、商品開発に参画させてもらうことで、児島の繊維産業の歴史を学ばせてもらいました。歴史を
知ることで、任務について、より意義や価値を見出すことができました。現段階では商品化まではでき
ていませんが、商品化に向けて頑張っていきたいと思います。
氏名 :ポールファス昌利
趣味 :旅行、YouTube 視聴
担当業務:高梁川流域圏域内の地域資源の発掘
任期 :2022.4~
出身地 :倉敷市
前住所地:広島市
父が日本人、母がアメリカ人で、4人兄弟の次男として倉敷で産まれ育ち、市内の高校を卒業し、地元企業に就職した後、県外に住んでいました。
大工をやっていたので、店舗などの改装・修繕は、いつでも相談してください。
旧姓が「安田」なので、「安田(やすだ)」と呼んでください。
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