イノベーションの担い手となるのは「若者、よそ者、ばか者」であるとよく言われます。
そのような、積極的な姿勢で、様々な視点をもち、柔軟に動ける存在であるのが「地域おこし協力隊」です。
高梁川流域において活躍する協力隊の皆様の活動状況を、本ブログでもお伝えさせていただきます!
地域に新しい風を運び入れ、様々なヒト・モノ・コトをつなぐ活動につき、ぜひご注目ください!
倉敷市真備町には、ご夫婦で40年以上に渡り、こだわりの珈琲を提供するジャズ喫茶「コーヒーハウスごじとま」があります。平成30年7月豪雨災害から4年が過ぎ、当時の状況を振り返り、「ごじとま」の再出発への軌跡と珈琲への熱い想いを紹介します。
1971年11月3日(文化の日)、当時、学生だったマスターの高本さんが、特徴的な円形カウンターで有名な京都の「イノダコーヒ三条支店」で飲んだ一杯の珈琲にカルチャーショックを受けたことに「ごじとま」のルーツがあります。
18歳の時に観た、黒澤明監督の「生きる」という映画に感銘を受け、誰かの何かの役に立つ生き方をしたいと、京都の老舗喫茶店「築地」で約10年間修行をし、1980年5月に真備町では初?当時は全国でも珍しいジャズ喫茶「ごじとま」が産声をあげました。
平成30年7月豪雨災害で、真備町は水害の被害を受けました。「ごじとま」も被災し、店舗兼住居が5m30㎝まで水没しました。水が完全に引いて、現地を確認したときは、絶望感で声が出ませんでした。敷地には、土砂など様々な物が流れ着き、ドアは開かず、梯子を使って二階の窓から中に入りました。お店の中にあった真空管アンプ、手造りスピーカー、レコード、山積みの本など、39年をかけて積み上げてきた歴史(空間)は、見るも無残な状況となっていました。
さらに、追い打ちをかけるように、親しくしていた近所の方の訃報にご夫婦は、悔しく切なくて泣き崩れました。
当時の状況について、奥様は「地獄絵図を見ているようだった……」と振り返りました。
当初は、お店の復興は後回しにして、ボランティアを振り分け・指導し、メディア対応などを行いました。特に「メディア対応」は、どんなに忙しくても、また、どんなに答え辛い内容であっても対応しました。「真備町のこと、水害のことを風化させてはいけない。」という想いで、未曽有の災害がもたらした真備の凄惨な状況を全国に発信しました。その影響もあってか、「ごじとま」の被災を知り、全国のジャズ仲間からレコードが贈られました。東日本大震災で被災した宮城県の友人からも支援物資を届けていただきました。
被災当初は、ただ立ち尽くし、呆然としているだけでしたが、心温まる多くの支援に背中を押され、再出発を決意しました。先の見えないお店の復興にとりかかったのは、被災から20日を経過した後でした。
「思い出やモノなど、失った物は山のようにあったが、人のつながりや、人の暖かさのある行動に救われた。」とマスターは当時を振り返りました。
被災した方に、こだわりの珈琲を提供し、心の支えになることができればという想いで、その年の11月に営業を再開しました。当時は、避難所で寝泊まりをされている方やキッチンが改修できず市役所から食事の手配を受けている方も多くいました。高本さん自身もみなし仮設住宅から通われて珈琲を淹れていました。店の駐車場にテントを張った状態での営業再開、また「カフェカーごじとま号」による珈琲の提供でしたが、このことが、被災者の方々の心の一助になったと思います(本格的な店舗の再開は、翌年の5月)。
悲しいことばかりの災害でしたが、さらに、珈琲への情熱と「誠実に、地道に、真心を込めて」の経営への思いが強くなっています。
「ごじとま」には、2か月(偶数月)に一回しか作らないオリジナルスパイシーカレーがあり、幻のカレーとして人気を集めています。現在は、週3日、4日の営業となっており、カレーは月末の土曜日と月曜日のみの提供です。ぜひ食べてみてください!
お店の経営について、お二人の目標は「マスターが現役で88歳まで店に立つこと」と言われていましたが、こだわりと思い出が詰まった「味・技・店の記憶」をずっと残していってほしいです。
[ごじとま]
https://www.okasci.or.jp/mabi-funao/05/gojitoma
氏 名:吉田 大紘(よしだ まさひろ)
趣 味:バイク、格闘技
担当業務:真備町地区における新ビジネスの創出
任 期:令和4年6月~
出 身地:福岡県北九州市
前住所地:千葉県千葉市
スズキ株式会社を退社し、真備地区の地域おこし協力隊員として着任しました。
まずは、愛機、DR-Z400SM(もちろんスズキ車)で、真備町を中心に倉敷を周り、土地勘を持ちたいと思います。